大判例

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名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)192号 判決

原告

伊藤紀雄

被告

小西正彦

主文

被告は原告に対し金二四四万円及び、これに対する昭和四五年一月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告、その二を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分につき、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

原告は、「被告は原告に対し金五二一万九四四四円及び、これに対する訴状送達の翌日から完済まで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めた。

被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

(原告の主張)

一  原告は、次の交通事故により負傷した。

(一) 日時 昭和四二年一〇月一一日午後七時頃

(二) 場所 愛知県常滑市檜原字鍋山一九番地先路上

(三) 加害車 訴外渋谷嘉二運転の小型自動車(DY二〇D―五四四七P)

(四) 態様 渋谷が加害車を運転し原告が乗車していた故障軽三輪自動車(三愛き三二七五)をけん引中、渋谷がでこぼこ道であるのに除行せず急に右折したため、右軽三輪車が横転。

(五) 傷害 右上腕屈側、肘窩部及び前腕屈側の傷害を受け、右上腕屈側は広範囲の軟部、骨の欠損があり、右上腕中央以下の感染、壊死が認められたので右上腕の中央で切断された。

したがつて、右上腕の中央以下は欠損し右は労災等級四級に該当。

常滑市民病院に昭和四二年一〇月一一日から同年一二月一四日まで入院し、同月二三日まで通院。

二  原告は被告の経営する小西自動車工場に勤務していたものであるが、当日被告は訴外小西徳一より前記軽三輪の修理を依頼されていた。通常、被告方では故障車のけん引は被告と原告が、被告の兄の車によりこれをなしていた。しかるに、当日は、渋谷が加害車に乗つて被告方に来ていたことと、被告方には当日、折悪しくけん引用の車両がなかつたので、被告は渋谷及び原告に加害車を使用して軽三輪をけん引してくれるよう依頼し、これに従つて、渋谷が加害車を運転し、原告が軽三輪に乗車したものである。

以上の如く、加害車は被告の所有ではないが、加害車は被告方工場を出発して軽三輪の放置してある地点まで行き、また、被告方工場まで戻つてくることになつていたのであり、その間は、完全に被告が加害車の運行を支配していたものである。また、被告と渋谷とは雇傭関係はなかつたが、被告は軽三輪の修理という自己の業務のため渋谷にけん引を命じ、同人は被告のために軽三輪のけん引をしていたことは明かであり、このけん引による利益は経営者である被告が全面的に享受するものである。したがつて、被告は加害車の運行供用者であり、かつ、渋谷をして自己の業務に従事させたものといい得るから、自賠法三条民法七一五条の責任がある。

三  損害

(一) 逸失利益 金三七一万九四一四円

原告は昭和一九年一〇月一四日生れで当時、被告方の整備工として勤務していた。しかるに、原告は前記傷害を受け被告から稼働不能を理由として解雇された。原告は、前記後遺症によりその労働能力の九二%を喪失したものというべきであるが、解雇後、自ら努力を重ね訴外衣浦自動車に再就職し、現に、残業手当を含めて一カ月約三万五〇〇〇円の給与を受けている。しかし、同工場において原告と同程度の二級整備士の資格及び経験年数をもつた同僚は約七万円の給与を受けているので、原告が前記傷害を受けていなければ、同程度の給与を受けることが可能である。したがつて、原告は本件受傷により毎月金三万五〇〇〇円(年間四二万円)の得べかりし利益を喪失したところ、労災保険より年金一四万四四八四円を支給されることとなつているので、原告の年間逸失利益は、結局、金二七万五五一六円となる。ところで、原告の就労可能年数は六三才までの三八年間とみるべきであるから、その間の逸失利益の現価を求めると金五七七万九四一四円となる。

しかるところ、原告は自賠責後遺障害補償費金二〇六万円を受領しているのでこれを控除すると、残額は金三七一万九四一四円となる。

(二) 慰藉料 金一五〇万円

四  よつて、原告は被告に対し右合計金五二一万九四一四円及び、これに対する訴状送達の翌日から完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

一  原告主張事実中、一、(一)ないし(三)は認める、(四)のうち渋谷が加害車を運転していたこと、軽三輪に原告が乗車していたことは認め、渋谷が軽三輪をけん引中であつたことは争う、(五)のうち右腕切断の理由と労災等級四級に該当の事実は知らないがその余は認める。二のうち、原告が当時被告に雇傭されていたことは認めるが、その余は争う。三のうち、原告が衣浦自動車に再就職したこと、原告が自賠責後遺障害補償費金二〇六万円を受領済みであること、労災保険より年金一四万四四八四円を支給されていることは認めるが、その余は争う。

二  被告は加害車の保有者ではない。

(一) 加害車は訴外田村大蔵が所有し同人が自己のために運行の用に供しているものであり、渋谷は田村に雇傭されている運転手であるが、被告は田村、渋谷とは何ら業務上の関係はない。

(二) 渋谷は当日午後六時頃、個人的要件で被告が出張中に被告方工場に来合わせ、原告の依頼で、折から出張先にいた被告を、同所より右工場まで加害車に同乗させたことはあつたが、右は、被告が一時的に好意同乗したにすぎないのである。

(三) そして、被告が工場に帰つてから他人の故障車を修理中に、原告が、訴外小西一光から小西徳一所有の軽三輪の修理を依頼されていることを被告に告げ(原告に対する修理の依頼は、法的には被告に対して修理を依頼したことになるか、それを現実に受けたのが誰であるかは重要である)、被告に故障現場まで同行することを求めたが、被告は修理作業中のため同行できない旨答えたところ、原告は、工場附近にいた渋谷に同行を求めた。

以上の次第で被告は渋谷に軽三輪のけん引を依頼したことはないのであるか、この点につき、次の点が注目されねばならない。

(1) 被告は、けん引用のための特別の車両を有していなかつたが、それは、故障車は現場で修理することが多かつたからである。特に、現場で修理不能のものだけについて、被告方工場までけん引することはあつたが、このようなことは稀であつた。

(2) 本件の場合、被告としては、軽三輪を工場までけん引する必要があるか、或は現場で修理可能であつたかについては、被告が直接修理を依頼されたわけでなく、また、故障内容を知らず、軽三輪を現実に調査したわけでもなかつたので、その判断ができなかつた。

(3) 仮に、けん引の必要がある軽三輪であつたとしても、当日、被告方工場へ、けん引しなければならない事情はなかつた。

(4) 原告は前記の如く被告の同行を求めたが、それは、軽三輪のけん引のための同行を求めたものではなく、修理のための同行を求めたものであつた。

(5) 被告が原告の同行の求めに応じなかつた際、被告は渋谷が被告方工場に居たか否かを知らなかつた。

(四) 尢も、原告が渋谷と同行することを被告に告げたのに対し被告が同意した事実はあるが、被告は、渋谷が加害車で軽三輪をけん引することまでは知らなかつたのであるから、これを以て、被告が加害車を自己のために運行の用に供したとはなし難い。

(五) 仮に、被告が軽三輪のけん引を渋谷に依頼したとしても、被告は加害車を何ら支配していたものではないから、これを以て直ちに、被告が渋谷を自己の業務に従事させ、或は加害車を自己のため運行の用に供していたものとはいえない。

三  被告が原告を解雇したのは、被告方の他の従業員が退職した結果、営業の継続が不可能となつたためであり、原告の稼働能力が減損したためではない。

原告は被告に雇傭される前は、訴外太産自動車株式会社に修理工として勤務していたが、作業能力が低いため昭和四二年一月に解雇され、同年六月被告方に雇傭されたものである。したがつて、被告が他の工員より給料が低額であるのは、本件後遺症が、そのすべての原因であるとはいえない。

第三証拠〔略〕

理由

第一  原告の主張一、(一)ないし(三)の事実および(四)のうち渋谷が加害車を運転し、原告が軽三輪に乗車していた事実は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を総合すると当時加害車は、右軽三輪をけん引中であつた事実が認められる。

そして、原告の傷害の部位、程度、入通院期間については当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告が右上腕中央以下を切断するの止むなきに至つたのは、原告主張一(五)の如く右上腕中央以下の感染及び壊死のためであつたこと及び右後遺症は労災等級四級に該当することが認められる。

第二  被告の責任

〔証拠略〕によれば次の事実が認定できる。

一  原被告及び渋谷は、嘗て、自動車修理業を営む太産自動車にいずれも、修理工として勤務していた関係で互に親しい間柄であつたが、その後昭和四二年一月頃、被告は独立して肩書住所地で小西自動車なる名称で自動車の修理及び鈑金工場をはじめ、原告は、被告の勧めに応じて同年四月頃右太産自動車を退職して被告方に修理工として勤務するようになり、渋谷は、昭和四一年一〇月頃から常滑市多屋の田村大蔵方にダンプカーの運転手として雇われるに至つた。

二  なお、被告方の従業員は、当時、原告鈑金工及び塗装工の三名のみであり、原被告とも二級整備士の資格を有していた。被告方の勤務時間は、おゝよそ午後五時頃までであつたが、仕事があるときはそれ以後の残業もなされていた。ところで、故障車は、故障現場で修理する場合と現場から被告方工場までけん引して修理する場合とがあつたが、被告方にはけん引用自動車があるわけではなく、その必要のある場合には(当時までに数回その例があつた)、その都度、被告の兄が所有するダツトサン(被告方敷地内の車庫に格納されていた)を使用することが多く、また、右けん引は、原被告の両名が担当するのを常としていた。

三  渋谷は本件事故当日の午後六時頃田村の保有していた加害車を運転し、予て、被告に依頼してあつた自己の自動車の車検のための保険金を支払うべく被告方工場に赴いたところ、折から常滑市に出向いていた被告から電話があり、丁度パンク修理に忙殺されていた原告にかわつて同市まで被告を迎えに来てくれるようにとの依頼を受けて、加害車で被告を迎えに行き被告と一緒に戻つて来た。

四  ところで、これより前に、原告ないし被告は、小西一光から、以前にも被告方工場で修理をしたことのある右一光の父徳一所有にかゝる軽三輪の修理を依頼されていたので、当日中に右軽三輪を故障現場から被告方工場までけん引してくる必要があつた。ところが、折悪しく右ダツトサンの都合がつかなかつたので、原告は、止むを得ず、前記三の如くして被告方に戻つて来た渋谷に対し、加害車によつて軽三輪をけん引してくれるよう依頼してその承諾を得、かくして、原告と渋谷の両名が軽三輪を引取りに行くことになつたが、被告は、勿論、これを了承していたのであり、原告に代つて、それまで原告がしていたパンク修理をすることとなつた。

五  かくて、原告は渋谷の運転する加害車に同乗して故障現場へ赴き、現場において原告は軽三輪に同乗し、加害車にけん引されて被告方へ帰る途中、本件事故が発生した。

以上の事実が認定でき、右各証拠中右認定に反する部分は措信しがたく、他に被告主張事実を認めて右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実に基いて考察するに、軽三輪を故障現場から被告方工場までけん引することは被告にとつては、その業態からして必要不可欠であつたこと、それにも拘らず、被告方にはけん引車はなく、その兄の所有する車両に依存していたこと、被告は渋谷が加害車を運転して、軽三輪をけん引しに行くことを了承していたこと(それは、被告にとつて期待に反しないことであり、また、望ましいことでもあつた)が明らかであり、これに、前記一認定の原被告および渋谷の人的関係、前記三認定にかゝる、渋谷は、当日、直接被告の用事で加害車を運転したことがあつたこと等の事実関係を彼此対比すると、被告は、当時、事実上、加害車の運行を支配管理し得る地位を取得していたものと認めるのが相当であり、したがつて、自賠法第三条による運行供用者としての責任を免れないものといわざるを得ない。

第三  損害

一  逸失利益

〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四四年一一月頃から半田市所在の衣浦自動車方に修理工として勤務し、一ケ月当り金三万五〇〇〇円から金四万円の給与を受けていることが認められる。しかるところ、原告は「同所では、原告と同じ二級整備士の資および経験年数をもつた同僚は一ケ月当り七万円の給与を受けている」旨供述し、その差額は本件受傷に起因するものとして六三歳までの逸失利益を請求する。しかし、この点については〔証拠略〕以外には何らの証拠もないうえ、〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故前、被告から受けていた給与はおゝよそ一カ月金二万五〇〇〇円であつたことが認められ、右衣浦自動車においてはこれを相当大幅に上廻る給与を支給されているのである。しかも、〔証拠略〕は、原告の推測に甚く結論の開陳に止まるものであつて、客観的事実に基くものではなく、他に、これを補強する証拠は存しないのである。もとより前記第一認定の後遺症の程度からすると、原告が本件受傷により相当程度の労働能力を喪失したことはたやすく推断し得るところではあるが、果して、これにより、幾何の所得を喪失したとなすべきかの点については、遂に、これを確定し難いものといわねばならないのである。

したがつて、原告のこの請求部分は証拠薄弱として排斥を免れないが、この点は、慰藉料額を定めるについて増額事由として斟酌することとする。

二  慰藉料

原告の傷害、後遺障害の部位、程度、治療の経過(入通院状況)、原告の年令、職業、原被告間の人的関係、本件事故の態様その他諸般の事情を考慮し、かつ原告が、労災保険より障害補償費年金一四万四四八四円の支給を受けていること、及び、前記逸失利益の請求を認容しなかつたこと等を彼此総合すると、原告の慰藉料は金四五〇万円とするのが相当である(原告の請求額を超えた慰藉料額を認容することは、認容総額が請求総額を下廻つている限り、許されること勿論である)。

したがつて原告の損害は金四五〇万円となるが、原告が自賠責後遺障害補償費金二〇六万円を受領していることは当事者間に争がないので、これを控除すると、残額は金二四四万円となる。

第四  よつて原告の本訴請求は被告に対し金二四四万円及び、これに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四五年一月三一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 可知鴻平)

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